
かつては全国No.1
丈夫で安くてイケてるかすり
かすりとは「たて糸」と「よこ糸」でさまざまな模様を織り上げる伝統工芸です。かすりの着物は昭和初期まで日本人の普段着として愛されており、その中でも愛媛県松山市特産の「伊予かすり」は、久留米がすり、備後(びんご)がすりと並ぶ日本三大かすりの一つに数えられています。
絹も使う他の二つに比べると、伊予かすりは木綿100%で丈夫な上にお手頃価格、しかも柄が多彩と、庶民にとって嬉しい要素を兼ね備え、行商人の努力もあってとても広く普及しました。
そしてかすりフィーバーともいえる1904(明治37)年には、全国生産の26.5%のシェアで日本一に輝いたのです。
そんな伊予かすりの今を探るべく、松山市大街道にある「Art Labo KASURI歴史館」に伺いました。

今も現役の織機(しょっき)。全国へ普及しただけあって、一般宅の蔵から発見されることもあるのだとか。
1本の糸でつまずいても
最終的には意外といい感じに
お話を聞かせてくれたのは、職人の高須賀さん。伊予かすりの魅力は「手間がかかること」だと高須賀さんは言います。
その作り方は大きく分けると「くくり」「染め」「織り」の3つの工程になります。
まずは下絵をもとに糸に目印をつけ、染めたくない部分をくくっておきます。
そして藍などの染料に浸して染め、糸の1本1本がずれないよう気を配りながら織っていきます。
すべての工程で油断は禁物。とはいえ多少思い通りにいかなくても、仕上がってから全体を見ると、意外と上手くまとまっていたりするのだそう。丁寧な仕事は大切だけれど、つまずいたことにこだわる必要もないということでしょうか。なんだか人生哲学。

鳥居の形をした織機。かつては普段着として広く親しまれていた。
決まった型がないからこそ
自由に表現できるんです
伊予かすりの誕生は、鍵谷(かぎや)カナさんという女性が、わら屋根の押竹に残っていた縄目の跡をヒントにかすりを織ったことがきっかけと言われています。
しかし、当時かすりはあまりにも日常的な存在だったため、その柄は資料として残っていないそう。ちょっと残念ですが、伊予かすりはそれほどまでに生活に根づいていたんですね。
そして伊予かすりには代表的なデザインというものがなく、織機ですら家庭によって形が違うそうです。KASURI歴史館内にある織機は、よく見ると上部が鳥居の形。機能的な意味はなく、純粋にデザインとして神様の通り道を表現しているようです。
ここを通って生まれてくるかすりは、特別にありがたく感じますね。

細やかな表現も可能な伊予かすり。タオルハンカチに小さくあしらわれても、きらりと光る個性を発揮します。
伊予かすり育ちが
帰ってこられる場所を…
そんな魅力溢れる伊予かすりですが、現在、職人は高須賀さんを含めて3人なのだそうです。
たった3人…後継者を増やさなければ、という思いはあるのでしょうか。
そう尋ねると高須賀さんはやさしく、でもはっきりとした口調でこう答えてくれました。
「あのね、ものづくりは気負っちゃだめなんです」
その言葉に、ハッとさせられました。
産業として発展させて、多くの人に安定した品質の製品を届けることも、もちろん大切です。
けれどそれとは別に、一つひとつへのこだわりと個性を楽しむものづくりの世界があるのも、すばらしいことではありませんか。
今も確かに伊予かすりを趣味として愛し、作品づくりに励む人たちがいます。
さらに鍵谷カナさんゆかりの地である松山市垣生(はぶ)地区の小学校には「かすりクラブ」が存在し、子どもたちに人気なのだそう。
「伊予かすりに親しんだ子たちが大人になったとき、帰ってくる場所が残っていなければいけません。そのために私はここにいるんです」と高須賀さんは語ります。
伊予かすりはものづくりを愛する人の心のふるさととも呼ぶべき、包容力ある伝統工芸なのでした。
伊予かすりと相思相“藍”なワザ

簡単だけど奥深い、世界に一つを生み出す藍染め体験
伊予かすりには藍染めの糸を使うことが多いため、この2つの技術はとても仲の良い関係です。ということで、Art Labo KASURI歴史館のすぐ近くにある姉妹館「体験館 城山横丁」で藍染め体験をさせてもらいました。
丸めたハンカチを糸で結び、藍に浸していったん搾り、また浸して…を繰り返し、約15分でできあがり。広げてみると、想像していなかった模様が現れて感動しました。
所要時間と手順は染めるアイテムや目指す色の濃さ・模様によって変わってくるそうです。さらに絞るときの力加減や、水にくぐらせた回数でも仕上がりは変化。
ハンカチを眺めながら、もう一度、今度は違う手順で染めてみたくなりました。みなさんもぜひご体験あれ。
(2020年10月)
http://e-hime.jp/kasuri/
